[#5]まりもが学校を辞めた話⑤

前回の続きからになります。

通信制高校に編入して大学を目指すことにした僕は、インターネットで片っ端からパンフレットを取り寄せました。途中、パンフレットを取り寄せた学校から電話で簡単にお話ししたりして今の状態や今後どうするのかについて聞かれたりしました。そうしてパンフレットが届いてから親と共に見ていき、ここいいなと思う学校をいくつか絞って、実際に行って詳しく話を聞きに行くことになりました。実際に行ってみると、想像とは違った学校もあって言い方あれなんですけど、ヤンキーみたいな柄の悪い感じな方がいっぱいいらっしゃったり、もうこれ普通の学校と変わらんやんみたいな学校もありました。僕は人がたくさんいる集団授業が無理で、個別指導の塾のような学校がいいなと考えていたのでどんどん選択肢は少なくなっていきました。

そうして行き着いた結果、「トライ式高等学院」さん (ホームページ:https://www.try-gakuin.com/?gad_source=1&gclid=Cj0KCQjw2a6wBhCVARIsABPeH1tkbZ5MRACgkWp4xzz6bPewRFzh16vlZOeLksxp55YQqlrk3EZVHFUaAj94EALw_wcB)に行こうと僕は決めました。塾みたいでもあり、自由度が高いイメージでなおかつ柄の悪い方々がいないクリーンな感じでした。しかしここで問題が発生しました。お金の問題です…トライ式高等学院さんは通信制高校ではなく、さまざまな通信制高校と連携していて、日本各地にあるトライで単位取得ができるよというシステムで「仲介」みたいな存在なので割高になっていて、父はそこに納得がいかず、僕も僕で「ここで頑張りたい、ここじゃないと無理」の一点張りで話し合いは平行線でした。母は自分が行きたいと思ったところに行かせた方がいいんじゃない?と僕に寄り添い、父を説得してくれていました。今考えるとなんてわがままなやつだと恥ずかしい思いでいっぱいなのですが、当時の自分はとにかく場所を変えたい思いが強く今通っている学校に通うなら死のうと考えていたくらいにはギリギリな状況でした。そんな感じでお互い譲らずの話し合いをしていたある日、僕は途中で自分のこの状況に対しての想いがあふれてしまいました。

「僕がこんなことにならなかったら父さんも母さんも悩まずに済んだのに、将来も明るかったかもしれないのに、自分は普通じゃなくなった、人生のガードレールから僕は外れてしまった、まだ自分の稼いだお金で親にプレゼントもしてない、自分はなんで生きてるんだろう、なんで自分は迷惑しかかけられないんだろう、親に迷惑かけたくないのに今こうして迷惑をかけてる、自分は無価値だ」

こんな自責の念があふれて「ごめん、こんなんでごめん」とそれ以上の言葉が出ずにずっと謝りながらぽろぽろと涙を流していました。このときの母の泣いている姿がとても頭に残っています。一旦話し合いは終わりその日は終わりました。

実は編入する手続きが月末までに完了しないと来月の一日から編入できず、編入が遅れてしまうので決断を急ぐ必要がありました。期限が迫る中、話し合いを続けていく中でだんだん父が僕の行きたいところはどこ?そこでいいよと折れてくれるようになりました。僕は決断を迫られて色々考えてトライ式高等学院さんに行くことを決めました。

今こうして当時のことを思い出しながら書いていて、あらためて両親への感謝の想いが込み上げてきました。当時の僕は自分のことでいっぱいいっぱいで親もたくさん考えて、悩んでいただろうに。決して裕福ではないのに最後はお金のことなんか気にするな、僕のいきやすいところにしなさいと言ってくれて僕はとても恵まれていると、幸せだと噛み締めています。この時から親への尊敬・感謝がより深まりました。とっても仲がいいと自負できるくらいに!

最後まで見てくださりありがとうございます!最後ちょっと気持ち悪くなってしまいましたが、ありのままを書けたと思っています!最近始めたばかりなので文が成り立っていないところもあるかと思います。ご了承ください🙇‍♂️一旦僕の学校を辞めて大学に進学するまでの話は終わろうと思います。これからも書くジャンルは変わりますが、書いていきますのでどうぞよろしくお願いいたします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました